筆者の佐藤雅彦さん 実に楽しんでおられます。
ご本人独特の感覚や感動が、こうもうまく言語化され伝わってくることにまず感動。
そこここで「クラッ」とさせられるのもまた、実に気持ちのいいことでした。
「クラッ」というのはある一篇に出てくる表現ですが、自分が想定する「思考的枠組み」が外れたり壊され、事象の意味を一瞬見失った時に感じる軽いめまいのような気持ちだそうで、そういう意味で私は何度も「クラッ」とさせられました。
筆者の思考の展開に、そうきたか!そうきます?! と時に笑いを吹き出しながら、文中の言葉に置き換えるならこの感動が「クラッ」ってことなのね、などと思ったりして。
『暮らしの手帖』の連載ということもあり、理解するにやさしい言葉を選んで下さったのでしょうか。気持ちよくイメージできる文章のはしばしに言葉のちからを感じて、また「クラッ」とするのでした。
その驚きや感動からくる「クラッ」が、固着している思考を揺さぶってくれるのが気持ちよくて、思いもよらない出来事に出会えるスポーツや芸術が愛好されるのだそうですが、筆者は多分に、特異な現場でなくとも日常の中で、いろんな「クラッ」に出会える方だと思われます。
要は視点の問題で、それをいろんな角度から提示することが本職でいらっしゃるのかな。
本の内容も筆者のことも知らずに、たまたま手に取った1冊でしたが、読み始めてすぐに「☆☆☆」
このひとだぁれ?!と巻末を見ると Eテレの「2355」 などの企画・監修も手掛けている方でした。
この本では、筆者がひとつの「不明な」出来事を「見据える」ために、そういえば、と過去の記憶をさぐると、過去と今の点と点がつながって新たな意味が発現するのですが、そういう伏線(という言い方を彼はしていませんが)と化す点と点の発生が、偶然の事もあれば、過去の自分が未来の自分に仕掛ける点もある、という話も興味深いものでした。
彼は、自ら伏線を張る、みたいなことを、ひとを楽しませるための「幸せなイタズラ」としてしかけたりもするというのですが、それに続く内容として、以下は文中の言葉を用いての要約です。
[project]という言葉は~
前に(=pro) 投げかける(=ject)ということを語源として、一般的には「企て」とか「計画」とかという意味で使われている。
私は、この『プロジェクト』という言葉に、その根源的な意味をもう一度付加させて、「未来に投げかけること」という意味合いで、自分やスタッフに対してこの語を使うことがある。別のいい方をすれば、将来に、その価値が発現されることを強く意識した活動を、自分たちの『プロジェクト』として定義し直したのである~
それは地面に何かの種を埋めた時のような期待と希望が生まれることであったり、
目線が目先のことだけに向けられることを防いだり、
その20~30年はゆうにかかるであろう、完成するのかもわからないプロジェクト構想があるから、
今の自分がどのように行動すればいいのかが分かるのである。
「夢」というのはまさにその人の [project] と言うべきものですね。
夢を公言したり、語り合うというのは、それを誰かと共有し、一緒にお互いの未来をワクワクするための仕掛けであると言えますが、「共に未来に投げかけたのだ」 と思うと、改めてうきっとします。
「投げかける」って、責任をもって先に提示する、ということかもしれません。
「さあどう出る?」 という人生のワクワクを、自ら用意すること。うき~~☆
そういうつもりで作りました
7月に蒔いた種
43人分の [project]
7月に蒔いた種
43人分の [project]
久々に、先入観無く手にした本がヒットしたのが嬉しくて
長々と書いてしまいました
ご本人は、自身より作品が世に出ることが正しい
と思っておられるようですが
と思っておられるようですが
面白い作品に出会うとその作者のことも気になるものです
想いを新たに久々に観た「2355」は、また別の味わいがありました
「よんきびう隊」がすきです♪