2014年3月11日火曜日

3.11 

今年は福島県に行けたらと思っています
昨年、阿賀野川上流の町を訪ねる機会があって、新潟県の東端の町までは確かに遠い印象だったのですが、そこまで行ってしまえば福島県境・会津や、友人の住む郡山まではもうすぐそこ

昨夏の山形県は鶴岡・酒田と同様、この街に居る間はなるべくここから行きやすい所へ、
石川・輪島を訪ねたように、福島・会津の漆器も見に行こう、当たり前に旅をしよう・・・ 
なんて、そんなふうに思うこと自体、まだ意識しているというものですが、それも自然なこと
たくさんの悲しみがまだ癒されることなく、行く先もみつからぬまま、漂っているのですから

ただこれは
同情するのとも、忘れるのとも、鈍感になるのとも、過敏になるのとも
違う感じのように、思うのです

言葉にはならないけれど
言葉にならないことだらけだけれど・・・


3年前のあの日、子どもさんを産んだおかあさんが 「なんとなく申し訳ない」 って
その日、出産したことを、友達にもなんとなく言えなかったと
出生届を違う日にして出した方もいたと、テレビから伝え聞いて、 ショックでした
どれほど辛い気持ちだったろうか・・・ と、 言葉を失くしました

もちろん、誕生日と命日が同じになった方がたくさんいて(それが家族だったり友人だったりもして)思うのも辛く、やるせないことなのかもしれないけれど、あの大変な日になんとかこの世にデビューできたこと、誕生させてあげられたことを、誰もが迷うことなく祝福したであろうと、疑うことなく思っていました
それくらい私はわかってなかった、と感じさせられた報道のひとこまでした

でも、わかってないかもしれないけれど、思います
とてつもなく重い意味のある日になってしまったけれど
その日に生まれたからといって、何も背負わなくていいと
誰かの分までなんて、生きなくていいと思う
ひとは自分の人生を生きるだけでも大したことなんだって、あれは、それを思い知らされた日

立派な人でなくたって、やさしい人でなくたって
どの日に生まれた命もみんな
どの日に亡くなった命と同じくみんな
尊い・・・


話は戻りますが、今、福島を旅しようというのは
そんなことと同じような気がするのです

どの日も同じように大切で

今日もまた、つながっているひとと、心の中で灯になってくれているひとに
感謝